二日目、仙台〜南三陸〜気仙沼〜陸前高田〜大船渡へ
ホテルで朝食をすませ、八時半仙台発の東北本線で小牛田まで、途中松島を句を詠む暇もなく一瞬で通り過ぎる、その一瞬海が見えたかと思いきやあたりは田園風景に、さすがの米どころ。小牛田で昨日散々お世話になった東北本線719系に別れを告げ、いよいよ三陸へ向け女川線へ乗り換え、したかと思いきや、今回は石巻・女川方面には行かないので、途中前谷地で気仙沼線BRTへ乗り換え。
前谷地駅改札を出て駅前のBRTの乗り場で乗り継ぎ時間があった、静かだなぁ、この駅を降りての静寂が好き、駅前にギフトショップが一軒、地方へ行くと「ギフトショップ」というのをよく見かける、この駅前の店もかなり年季が入った感じだけど、まだ続いているということはこの町のギフトの需要があるんだろうな、お年賀、お中元、お歳暮、そのほか冠婚葬祭、この町のギフトをこの店がまだ支えているんだろう、頑張れギフト鈴木、ネット社会に負けるな、と心中でエールを送る。静寂の中、駅前にはBRTの待ち客が3人、静かだなぁ、BRTは目の前に止まっているが動き出す気配もなく、乗らせてもらえる気配もない、静かだなぁ、そして暑いなぁ、BRTの運転手は目の前にいる、待ち客3人から発っする「来てるんだったらはよ乗せろ」光線をうまいことかわし続けている、そしてきっかり5分前に乗車を許される、私は子供の頃にバスの一番前を禁止されていた反動でいい年して絶対に一番前に乗る、絶対だ、しかもウキウキしながらだ。これから続く長旅を未だ知らぬ私は、一番揺れが激しい席に意気揚々と座る
定時丁度にBRTは前谷地を出発、うんバスだね、これはバスだ。小牛田の駅前から集落を抜け、田園風景の中、BRTは行く。途中柳津駅に停車、柳津駅までは気仙沼線は乗り入れているが、そこから先はBRTしか交通手段がない、というか気仙沼線がBRTなのだが。BRTの車窓から気仙沼線の線路がしばらく沿って走っているのが見えていたかと思えば忽然と見失ったり、ある程度は元の線路と沿って走っているのだろうけど、かなり小回りが利くBRT、足というところで小回りが利くのはBRTの強みだと思う。陸前戸倉を過ぎて海が見えてきた、至るところに盛土がされており、生々しい津波の痕跡はなくても、このあたりは被害にあった地域なのだと分かる、盛地と盛地の間に南三陸町の防災対策庁舎がそのままの姿で残っていた、なんとも言えない気持ちになって、涙が勝手にあふれ出た。言葉にならないというのはこういうことなんだろう、今も様々な事情で以前の暮らしを取り戻すことが困難な人達がいるのだから、部外者は生半可な気持ちで下手に言葉をかけてはいけないというのは私の考え方で、今回も被災地にお金を落とすとか、食べて応援とか、観光で応援とかそういうのではなく、ただたんに三陸へ行きたかったから来ただけのことであり、それ以上でも以下でもない、ただ、この景色は厳粛な事実として心に受け止めなければいけないと思った。
BRTは気仙沼線の線路の跡を行くこともあり、その場合は完全にBRT専用道路になっている、途中車とBRTが交差する場合、BRTの専用道路側に踏切のようなものがあり、車が通過すると踏切が上がるという少し不思議な感じ。三陸海岸の入り組んだ地形のせいかトンネルが多い、列車サイズの小さなトンネルをBRTが行く。これもまた不思議な感じ。BRT専用道路を走行中はそうでもないのだが、それ以外の一般道がやはり地形のせいかカーブが多く、一番前の座席は段差やカーブの影響をもろ受けするため、いよいよ身体がついていかなくなり、バスの後部座席へ移動する、確かに小さなお子様は座ったらあかん席だわ、あそこは。地元の人の足とあって結構乗客の乗り降りがあるBRTの二時間半という道程で始発の前谷地駅から乗り残っている乗客は大荷物のおばあちゃんと私、その二人のみ。ちょっとした仲間意識すら感じてしまう。十時過ぎに出発し十二時半に気仙沼へ到着した時はおばあちゃんとハイタッチしたいくらいだった、路線バスに二時間半、これもまたお初である。
さて気仙沼に到着したものの、土地勘がない場所なので困った。とりあえず、駅のコインロッカーにゴースト捕獲装置風バックパックを預け、気仙沼観光協会で自転車を借りる。観光協会の方に促され、よくわからないまま自転車で港のほうへ行ってみた、とはいえ、食事処のことは必ず事前調べする私ゆえ、気仙沼ではかもめ食堂とアンカーコーヒーに寄ろうと計画はしていた。かもめ食堂、昔懐かしあっさり醤油系ラーメンで好み。以前、葛西のちばき屋に行ったことがあるけど、そこの主人が気仙沼出身で食堂を復現させたとか。そのまま流れで海の市、シャークミュージアムへ。ちょうど秋刀魚のシーズン、今夜の宿の食事に期待。湾岸地区はやはりここも復興の最中で、大型トラックが往来して砂埃が舞う。砂埃が上がる湾岸地区を抜けて少し高台へ出てアンカーコーヒーへ辿りつく、洒落乙である。まさに気仙沼のブルーボトルコーヒー。ただMacBookを広げたノマド族の姿はなく、地元のお洒落マダム達の午後の語らい場になっております。こういう店が地元にあるというのは素敵。私もまったりしたかったのだが、次のBRTの時間があるため残念ながら短時間の滞在、街の反対側をグルっと抜けて気仙沼駅へ。結構高低差のある町、自転車電動アシスト借りて正解である。気仙沼観光協会で自転車を返した後、少し時間があったので震災の話を、私も海の近くから来たというと、大きな地震が来たら着の身着のまま何も持たずに9分以内に6階以上の建物へ逃げる、とにかく高いところへ逃げる、家族が残されてても助けに戻らない、目の前で誰か流されてても助けに行かない、そうしなければ確実に死ぬといわれた、単なる教訓ではない言葉の重み。
三時五分のBRTへ次の目的地、陸前高田へ。二時間半の滞在だったけどいい街だったな、気仙沼。BRTは三十分程で陸前高田の奇跡の一本松駅へ到着。新たにできたBRTの停車駅、駅に着く前にBRTから一本松を遠目に見ることはできるが、実際の停車駅は一本松から少し離れた場所にあり、十分程歩く。周りは盛地されているが、一本松とユースホステルの建物だけがそのままの状態で残っている。震災前の写真と比較すると本当に奇跡的にこの一本だけ残ったのがわかる。奇跡だし希望そのものだ。昨今のなんでもかんでも奇跡をつける風潮どうかと思う派の私的には本物の奇跡を目の当たりにして、今後も継続して奇跡の安売りに対して積極的に糾弾していこうと思った。次のBRTの時間まで一時間、一本松茶屋でマスカットサイダーを飲む。実は予てから飲みたかった地サイダー、陸前高田の神田葡萄園いい仕事してます、美味し。一時間に一本のBRTが少し遅れて到着、今日の目的地、私の幼少時代の想い人、新沼謙治さんのふるさと大船渡へ。
BRTの車窓から夕焼けを眺めつつ下船渡に到着、そしてそのまま大船渡温泉へ、温泉でBRTで揉まれた身体が癒される。夕食はこれでもかってくらいの海の幸、一人焼肉、一人しゃぶしゃぶ、全然OKだが、一人鮪の兜煮というのは初めての体験だった、秋刀魚も焼き、刺身で頂けて美味し。コストパフォーマンス的に大丈夫?そんなにサービスしてというくらい。部屋からも大船渡湾が一望できていい宿、今度は家族と行きたい。復興関連で宿泊の方もいらっしゃり温泉入って沢山食べて頑張ってくださいという思い。明日は結構大移動、そして早起きして大船渡湾の朝焼けを温泉につかりながら拝みたいということで早めの就寝。
田園風景からの
一瞬海からの
田園風景
線路と並走するBRT
BRT専用道路
気仙沼港
やなせたかしさんのメッセージが素晴らしい