朝比奈 慧
11月19日生まれ。
1991年宝塚音楽学校に入学。バレエ・モダン・ジャズダンス・声楽・日本舞踊・演劇・ピアノ・三味線等を学ぶ。
1993年宝塚歌劇団に……

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清く正しくあまのじゃく 七天邪鬼
あと一時間で年が明けますね。
年末の大掃除はコンプリートしましたか。

私はあの掃除に追われる日々から十年以上経った現在でもトラウマなのでしょうか、時に突然、私の中の松居一代虫が騒ぎ出すのです。
悪夢の入学式の翌日、宝塚音楽学校といえば・・小走り直角歩き、掃除とあげられるくらい代名詞とされている、掃除の担当部署の発表がある。要するに自分の担当の掃除場所を一年間掃除してきた本科生からの引継ぎのようなものなのだが、私の担当は学校の講堂の倉庫の掃除だった。各々その担当掃除場所の役職名のようなものがあって、私の場合は「講堂掃除舞台裏を掃除させていただく者」という役職名称だった。今後一年間、本科生と話すときは自分の名前の冠にこの役職名をつけることを義務付けられる。世間一般の感覚で言えば「私、●●営業部部長の●●ですが」的なものなんだろうか、可笑しなことに、任された掃除場所によって成績とか全く関係ないところでの序列が決まっていた、これまた音楽学校の数多いヘンテコな決まりごとのなかの一つだった。一番大変なのは講堂の掃除の責任者の同期生で、事あるごとに一番最初に呼び出され怒られて、一番最後まで立たされるという、絶対に刺さりたくない白羽の矢の一つだった。・・・・と話すと長くなるようなヘンテコな決まりごとにガチガチに縛られてわけのわからんまま予科生の生活が始まっていった。私の掃除場所は倉庫ということもあって、これといった掃除がなく、掃除時間約1時間半のうちの前半は講堂の舞台上のグランドピアノの掃除に時間を費やすことになった。と更々と書くと非常に簡単に思えるのだが、ここにヘンテコな決まりごと加わると尋常ではない。掃除場所に行くときの順番、掃除を始めるときの断り、掃除用具の置き場所、掃除用の雑巾のたたみ方、何から何まで全部決められているのだ、フラッと掃除場所にやってきてサクッと掃除をするなんてことは言語道断なのである。毎朝、決められた時間に「掃除場所役職序列順」に一列に整列し、小走りで直角で無表情で掃除場所に向かう。ご存知のあの光景が繰り広げられるのである。そして各々の掃除場所で綿棒、ガムテープ、ヘアピンなどを駆使し、完璧な掃除が行われる。・・・その様ときたら松居棒も吃驚なのです。
Posted by KEI ASAHINA | 宝塚 | 23:23 | comments(0) | - |
清く正しくあまのじゃく 六天邪鬼
こんなはずでは・・と思ったのはそのときが人生初だった。
「こんなはずでは」という経験は今後の人生幾度となく訪れるだろうが、人生初の「こんなはずでは」はあまりに衝撃的だった。

入学式の前日に、一学年上の先輩(本科生)より一年目(以下、予科生)しての心得や規則などの説明があった。
厳しいと話に聞いていたものの、思ってたより怖くねぇじゃんとタカをくくっていた。合格後に採寸した制服を受け取り、制服のベルトの位置や靴下の折り方などの説明を受けたのだが夜行列車での移動がたたり寝不足だったので、あろうことか説明会で居眠りをしてしまった。気が付いたら膝に乗せていた筆記用具をガラガラと落としてしまった、そのとき本科生からの刺すような視線が私に集中する、はっとして落としたものを拾おうとしたときに「勝手に拾うな」みたいなことを言われた。え?と思いちょっと寝ぼけていたこともあってなんだか訳のわからないままその場はやり過ごした。いよいよ明日は入学式だ。憧れの制服をホテルの部屋で眺めて溜息が出た。嬉しいような気が重いような複雑な気持ちだった。

入学式当日、予科生の更衣室で式の前に待機していた新入生40名。そこに突然、忠臣蔵の討ち入りの如く本科生が突入してきた。
へ?何々?どうしたの?と私は突然の奇襲に何がおこったのか状況が把握できない。そのとき、一番の成績で入学した同期生が本科生に「服装の点検」をしてもらうという断りを大声で言っていた。それでも何のことやら把握できずにうろたえる私の前に身長170センチを有に超える男役志望の本科生が立ちはだかる。
周りを見渡すと皆、本科と予科の一対一のタイマン状態になっているではないか。そのときにはっと思い出した・・昨日の説明会で私が居眠りをしたときのことである。
そういえば、服装点検がなんとかと言っていたな・・しっかりメモをとるようにとか・・頭の中はレッツフレッツ光の速度で説明会の内容を再読み込みしていたが、どうやら肝心要の部分はすっかり夢の中だったようで、ただその場で立ち尽くすだけとなってしまった。他の予科生は服装点検を本科生にお願いするための断りをスラスラと述べ上げて順調に進んでいた。しかし、私は鬼のような形相で私を睨む本科生の前で金縛りにあったまま動けないでいた。

「頭のなかが真っ白っす」というのはまさにこんな状態のことを言うのだろう。初めて会う170センチ以上の先輩が目を吊り上げてパクパクと口を動かしているのがスローモーションのように目に映っていた。人生初とも言える非常事態にもかかわらず、完全に現実から逃避しようとしているもう一人の私がいて、こんなはずではこんなはずではこんなはずでは・・と何度も何度も心の中で繰り返し言っている。
だが実際には、すみませんでしたすみませんでしたすみませんでした・・・と何度も何度も水飲み鳥のオモチャのようにヘコへコと平謝りを続ける私がいた。
よく見かける入学式の集合写真はその本科生の洗礼の直後に取られたもので、皆、地獄を見たような顔をしている。
そのむこうには娘の入学に浮かれる親がやいのやいのと各々のカメラで娘を写している、愛娘が世にも恐ろしい洗礼を受けたとも知らずに…


人生初の衝撃による精神的ダメージで、入学式の真っ最中に脳貧血でぶっ倒れてバレエの先生に助けられたのはこの一時間後である
Posted by KEI ASAHINA | 宝塚 | 23:57 | comments(0) | - |
ども
えー、本日は普通の日記ですが…
本当のところをいうと「清く…」を今年中になんとかまとめあげて
それで新しい名前で新規一転という運びを考えてたのですが…
書き続けているうちに、ネタが次から次へと浮かんでくるもので
年内になんとか巧くまとめることができなさそうなんですわ。

年内にまとめるとすると音楽学校を主席で卒業して芸能界いりして
「瀬戸の花嫁」を歌うくらい人生が変りそうなので、このままぬるく
続けていこうと思います。

アクセス数もおかげさまで一日あたり一学級ずつくらい増えてるようなので
「どなたかが読んでくださっている」ということを励みに頑張りたいと思います。

有り難くコメントなども頂いておりますが更新に手一杯なのでコメント返す余裕が申し訳ないですがありませぬ。あと、うーん、そだねー、そうそう…的なコメント返しを私が不得手とする部分もありますのでご了承下さい。なんか感想とか書き込んで頂けるといっそう励みになりますゆえ、よろしくお願い申し上げます。

それはそうと、年賀状は出しましたか?私は本来ならば出さなければいけないんですが今年のはじめに最愛の祖母を亡くしまして個人的に喪中ということなので、今年は明けおめ〜とか、ことヨロ〜とかのご挨拶は控えさせていただきます。メリクリ〜くらいは出したかったのですが、気がついたらクリスマス終わってました。師走とはよくいったもんです。師匠が走って気がついたら地平線の遥か彼方までです。あっというまです。

それでは皆様、よいお年を。
Posted by KEI ASAHINA | 戯言 | 10:32 | comments(0) | - |
清く正しくあまのじゃく 伍天邪鬼
宝塚二次試験で関西初上陸の私だった。

なにせ東海道新幹線に生まれて初めて乗る。
なぜか受験に便乗して母と姉までが一緒についてきてちょっとした旅行気分。
神戸・京都・大阪と午前中の試験が終わり次第、観光を満喫した。全く緊張感のない二次試験だった。
最終合格発表の当日、母と姉と音楽学校のそばまで一緒に来るが「ここから先は一人で見行くから」と掲示板の前までは一人で行った。
はっきり言ってこの受験で落ちたら来年は受けるつもりは全くなかった。今だから言えるのか合格したから言えるのか「落ちる気がしない」受験だったからだ。
一次が終わった時点で、スクールの先生からは一次試験の自分の点数がかなり低かったことを告げられる。そりゃ、そのはずだ、私は決して成績優秀じゃなかったから。
なぜか物凄く自分を客観視した上で、もうこうなったら楽しんで受けるしかないな、自分を信じて・・とあのスター様から承った葉書を懐に二次試験会場に乗り込んだ。
ある意味どちらに転んでも15歳にして腹が決まっていたのだろう、しかし、掲示板に自分の名前が張り出された時は本当に嬉しかった。当時の喜びは姉が今でも話のネタにする。
物凄い形相で「うかったぁ〜っっっっ!」と大声で叫びながら橋の袂で待つ二人にむかって暴れ馬の如く全力疾走してきたそうだ・・・なにが「落ちる気がしない」だ。

凱旋帰京した合格者はスクールでは戦場で敵将の首を取った武士のような良い扱いを受けた。周りの受験生は羨望の眼差しだ、しかし今回一緒に受けたがまた一年、来年の受験に向けてレッスンをする子もをいる。今となって私はその気持ちをその時に味わっておけば良かったと思うこともある、世の中は思うように行く事のほうが少ないのだ。
合格に喜ぶのも束の間、身の回りがバタバタと慌しくなる、二週間後からは宝塚での寮生活が始まる、生活に必要な物を揃えたり、一度も行くことのなかった高校に退学届けを出したり。
とにかく身の回りのものに全てに名前を書いた、我が母上は、鍋の蓋にも名前を書いた。そして、下着にも。後に下着に名前を書いたことによる事件が発生することも予想だにしなかった。
宝塚に行く日にちが近づくにつれ、気持ちが憂鬱になっていった。あれだけ行きたがっていた筈なのに家族や友達と離れて一人で馴染みのない土地に行くのが厭だった。
入学式の前に母と二人で行くことになった。今回は新幹線ではなく、なぜか夜行電車。ただでさえ寂しいのに拍車がかかるシチュエーション、いったい誰が演出したのだ。
父と姉が東京駅まで見送りにくる。いまだから「あの時は実は行きたくなかった」と言えるけど、当時は合格を喜ぶ家族の前では言えるはずもない。
寝台列車の窓からホームに立つ父と姉が見える、最初は笑顔で見送っていた姉だけど、そのうちにしかめっ面になり、泣いていた。6歳年上の姉には我儘ばかり言って怒らせていつも困らせていた、姉というよりは、二番目の母ともいえる存在だったので、そんな姉の子供のような泣き顔をあの時初めて見たような気がした。それにつられて私も涙が止まらなかった。
その後、何度も行き来した500キロは日に日に短くなったけども、当時は地球の裏側にでも行くかのような、遠い遠い500キロに思えた。寝台に横になるとガタン、ゴトンと列車の振動がもろに背中に響く、ガタン、ゴトンの音にそのうちにメロディが付くようなきがして、そしてそのメロディは仔牛が市場に売られていくような哀しげな響きだった。



Posted by KEI ASAHINA | 宝塚 | 22:15 | comments(0) | - |
清く正しくあまのじゃく 四天邪鬼
受験一年前を切ると、駄目人間の私も死ぬ気でやらなければいけないような緊張感が稽古場に溢れる。
まず、入学後を想定してか稽古場のロッカーも成績順で決まり、お蔭様で私のロッカーはしゃがんでかがんでやっとこ取る場所になった。
あと、入学試験を想定して月に一度模擬試験のようなことをした。受験直前には父兄に試験の様子をみせ、面談をすると言った鬼のような仕打ちだった。
そしてそんななか、受験生の間で実しやかに囁かれる「裏口入学」の噂。合格する為には現地の宝塚まで行って試験管の先生に挨拶をするのが必須であるとかないとか、その挨拶というのが、これまたベタな「菓子折り箱のしたに金子」的なものでなければ意味がないとかあるとか、耳を傾けてもしょうもないものだった。
そしてそんな裏工作をする知恵も金子も持たないまま私は受験会場へと向かった。スクールでは毎年のジンクスのようなものがあり、試験日前日のレッスンが終わると先生が背中を物凄い力でパンっと叩き気合を入れて「はい!頑張ってらっしゃい!」みたいな何故かアニマル浜口的体育会系ジンクスだった。私は背中を叩かれて稽古場を出たところで、稽古場に明日使うバレエシューズを置き忘れていたことをはたと思い出し急いで取りに戻った。先生には「戻ってくるなんて落っこちるわよ」と最後の最後に不吉な一言を餞別に頂戴する。

試験当日の早朝、一糸乱れぬ受験生ヘアを作る為に鏡の前で悪戦苦闘する。髪の毛一本、額にかかろうものなら落とされるという都市伝説があるのだ。
鏡の前で己の不器用さに嫌気がさして「髪の毛が邪魔なら、スキンヘッドでもええじゃないかえ」とよく悪態ついたものだ、しかし、間違いなくそれをしたら落とされるだろう。
なんとかガチガチのヘアスタイルを作り上げ、第一次の試験会場に辿り着く、試験会場には一学年上の先輩がお手伝いで沢山来ていた。憧れの音楽学校の制服だ。
やっぱりみんな綺麗だな、やっぱりみんな背が高いな、とか思っていたがなにやら先輩達に違和感を感じた。よく見ると化粧をしているのである。それに関しては自分も一年後に経験することなのだが、どうも化粧が顔に馴染んでない違和感。そしてバレエの試験の手本を示す先輩においてはレオタードで厚化粧、喜びの香り、将軍様の香り、間違いなく北の踊り子の一員だ。その時は心の中で「この人たちって変だよ」って恐れもなく悪態ついていたが、この一ヶ月後には「世の中で一番恐ろしい存在」となるとは夢にも思わなかったのである。

不思議なことに、受験のときに顔を覚えていた人は後に同期だったり、後輩だったりになる人ばっかりだった。なるほど、逆に言うと合格する人というのは何かその場で合格オーラをだしているものなのだ。とにかく試験会場・オーディション会場というのは隣の芝生が芝生を通り越して花園に見えるものである。受験時のスタイルは一糸乱れぬシニヨンに加え素足にレオタードという今思うとこっ恥ずかしい格好であった、しかも髪の毛一本で落とされるという都市伝説に加え、はみ(だし)パン(ツ)したら間違いなく不合格という伝説もあった。
稽古場からはみパンに定評があった私、先生にも重々気をつけるように言われ、自分としても「はみパンでは落ちたくないなぁ」と思っていたので、その日ははみパンだけはしないようにVラインに全神経を集中させた。そんな中、バレエの試験は二人ずつ、当日の振り付けはアダージオで身体の柔軟性を見るような振りだった。喜び組の先輩が踊る後ろで自分達の順番がやってきた、私と一緒に踊る子は今でも鮮明に覚えているがとてつもなく豊満な子だった。横並びで振りをしてみせて、大きく背中を反らせる振りのときに隣の子が見えた。
試験時に着用するレオタードは黒と決まっているはずなのに、彼女のレオタードは何故か白?いやその上はベージュ?え、でもその上が黒?いや・・・レオタードの色じゃない、彼女は、白いパンツ→生身の肌→黒レオタードと非常に難易度の高いはみパンをしてみせていたのである。その芸術とも言えるはみパンに魅せられて背中を反らせたまま戻ってこれなくなりそうになった。

よく人から「宝塚受験って物凄い競争率なんだよね」と言われるけど、実際にふたをあけると「はみパン7割:本気3割」ぐらいの人口比率だったと私は思う。
来年受験する人がもしこのブログを見ていたら、そのくらいの意気込みではみパンだけには気を付けて硬くならずに受験していただきたいものです。・・といっても●年前の傾向と対策ですが。

Posted by KEI ASAHINA | 宝塚 | 22:15 | comments(0) | - |
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