受験一年前を切ると、駄目人間の私も死ぬ気でやらなければいけないような緊張感が稽古場に溢れる。
まず、入学後を想定してか稽古場のロッカーも成績順で決まり、お蔭様で私のロッカーはしゃがんでかがんでやっとこ取る場所になった。
あと、入学試験を想定して月に一度模擬試験のようなことをした。受験直前には父兄に試験の様子をみせ、面談をすると言った鬼のような仕打ちだった。
そしてそんななか、受験生の間で実しやかに囁かれる「裏口入学」の噂。合格する為には現地の宝塚まで行って試験管の先生に挨拶をするのが必須であるとかないとか、その挨拶というのが、これまたベタな「菓子折り箱のしたに金子」的なものでなければ意味がないとかあるとか、耳を傾けてもしょうもないものだった。
そしてそんな裏工作をする知恵も金子も持たないまま私は受験会場へと向かった。スクールでは毎年のジンクスのようなものがあり、試験日前日のレッスンが終わると先生が背中を物凄い力でパンっと叩き気合を入れて「はい!頑張ってらっしゃい!」みたいな何故かアニマル浜口的体育会系ジンクスだった。私は背中を叩かれて稽古場を出たところで、稽古場に明日使うバレエシューズを置き忘れていたことをはたと思い出し急いで取りに戻った。先生には「戻ってくるなんて落っこちるわよ」と最後の最後に不吉な一言を餞別に頂戴する。
試験当日の早朝、一糸乱れぬ受験生ヘアを作る為に鏡の前で悪戦苦闘する。髪の毛一本、額にかかろうものなら落とされるという都市伝説があるのだ。
鏡の前で己の不器用さに嫌気がさして「髪の毛が邪魔なら、スキンヘッドでもええじゃないかえ」とよく悪態ついたものだ、しかし、間違いなくそれをしたら落とされるだろう。
なんとかガチガチのヘアスタイルを作り上げ、第一次の試験会場に辿り着く、試験会場には一学年上の先輩がお手伝いで沢山来ていた。憧れの音楽学校の制服だ。
やっぱりみんな綺麗だな、やっぱりみんな背が高いな、とか思っていたがなにやら先輩達に違和感を感じた。よく見ると化粧をしているのである。それに関しては自分も一年後に経験することなのだが、どうも化粧が顔に馴染んでない違和感。そしてバレエの試験の手本を示す先輩においてはレオタードで厚化粧、喜びの香り、将軍様の香り、間違いなく北の踊り子の一員だ。その時は心の中で「この人たちって変だよ」って恐れもなく悪態ついていたが、この一ヶ月後には「世の中で一番恐ろしい存在」となるとは夢にも思わなかったのである。
不思議なことに、受験のときに顔を覚えていた人は後に同期だったり、後輩だったりになる人ばっかりだった。なるほど、逆に言うと合格する人というのは何かその場で合格オーラをだしているものなのだ。とにかく試験会場・オーディション会場というのは隣の芝生が芝生を通り越して花園に見えるものである。受験時のスタイルは一糸乱れぬシニヨンに加え素足にレオタードという今思うとこっ恥ずかしい格好であった、しかも髪の毛一本で落とされるという都市伝説に加え、はみ(だし)パン(ツ)したら間違いなく不合格という伝説もあった。
稽古場からはみパンに定評があった私、先生にも重々気をつけるように言われ、自分としても「はみパンでは落ちたくないなぁ」と思っていたので、その日ははみパンだけはしないようにVラインに全神経を集中させた。そんな中、バレエの試験は二人ずつ、当日の振り付けはアダージオで身体の柔軟性を見るような振りだった。喜び組の先輩が踊る後ろで自分達の順番がやってきた、私と一緒に踊る子は今でも鮮明に覚えているがとてつもなく豊満な子だった。横並びで振りをしてみせて、大きく背中を反らせる振りのときに隣の子が見えた。
試験時に着用するレオタードは黒と決まっているはずなのに、彼女のレオタードは何故か白?いやその上はベージュ?え、でもその上が黒?いや・・・レオタードの色じゃない、彼女は、白いパンツ→生身の肌→黒レオタードと非常に難易度の高いはみパンをしてみせていたのである。その芸術とも言えるはみパンに魅せられて背中を反らせたまま戻ってこれなくなりそうになった。
よく人から「宝塚受験って物凄い競争率なんだよね」と言われるけど、実際にふたをあけると「はみパン7割:本気3割」ぐらいの人口比率だったと私は思う。
来年受験する人がもしこのブログを見ていたら、そのくらいの意気込みではみパンだけには気を付けて硬くならずに受験していただきたいものです。・・といっても●年前の傾向と対策ですが。